気多神社(越中國一宮)

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気多神社(越中國一宮)

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富山県高岡市の二上山にある気多神社を参拝しました。
こちらも越中一宮となっています。
一宮の話は後半で。


山にありますので、当然・・・坂路です。

時刻は夕の口。西日です。
駐車場から上を見上げて、ため息一つ。
気合いを入れて登ります。

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がんばって登りました。
鳥居をくぐるとさらに参道が続きます。


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さらに階段です。
拝殿が見えてきました。

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拝殿です。
全景をとろうと思いましたが、ご覧のような西日。
この角度でご勘弁下さい。

三間社流造のどっしりとした本殿は、
なかなか風格があり、
質素な感じもありますが、逆にそれが歴史を感じます。



気多神社の御祭神は  

大己貴命と奴奈加波比売命を主祭神とし、
相殿に菊理姫命と事代主命を祀っているそうです。



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気多神社の歴史については、
ウィキペディアなどで様々な諸説が書かれています。

一部をまとめますと、


気多神社という名前を聞くと、能登一宮の気多大社をイメージすると思いますが、
奈良時代の北陸地方は能登と越中が一緒になっていたようです。
その後、越中と能登が分かれた際に、気多大社から二上山に御祭神を分祀して
気多神社としたという説があるようです。

聖武天皇の頃、同じ二上山には(二上神、射水神社)があり、どちらも一宮の名称を使ったことから、
当時気多神社と射水神社で争いがあったのではないかということも。

史実上で気多神社が登場するのは、900年頃の延喜式神名帳に記載されてからという説も。
当時、二上の地に赴任していた大伴家持の万葉集にも近くにいながら記載されていなかった
という推察もある。

いずれにしても謎が多い神社です。

後に上杉謙信の兵火で焼失。
越中を前田家が治めた後に、2代利常が社殿を修復したとか。



詳しくはウィキペディアもご覧下さい。

境内には越中総社としての伝承地の後があったりと、
何らかの形で歴史とともにこの地区の崇敬をうけていたのでしょう。


また、大伴家持を祀った大友神社もあります。

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気多神社の御朱印です。
越中一宮の記載があります。

こちらは半紙に書いてある物を社務所でいただきました。
社務所は参道より坂を下ったところにありました。

宮司さんに石川県から来たというと、

「白山さんから、白山登山して奧の宮にはお行きなさい。私も来月行くんです。」

と強烈に推薦されました。



一宮を巡るとなると、山登りはしなければならないのでしょうね。
それはそれで大変だけど、いつかは・・・とも感じました。

社名
気多神社
所在地
富山県高岡市伏木一宮1-10-1
祭神
大己貴命
奴奈加波比売命
ホームページ
なし
注意事項
 

 


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